「立ち止まることでモチベーションを育む」

 皆さんこんにちは。ファイブアカデミー講師のTです。これまでは特に心理系大学院や公認心理師・臨床心理士試験に関連したことをテーマにお話してきましたが、今回はそれにとどまらず日常生活にも通じる「モチベーション」をテーマにしました。お読みになっていただければ幸いです。

【モチベーションを振り返ってみる】


 人間の行動はすべて何かしらのモチベーションにより支えられて実行されています。食事や睡眠といった当たり前の生活習慣も、日頃意識することはないかもしれませんが、なぜそれらの行動をとるかと言えば当然、生きるために生理的に動機づけられているということになります。子どものころを思い返してみると、当然大人より経験も知識もなく、無知であったからこそ、様々なことに対する好奇心や探求心にあふれ、色々なことをやってみたり始めてみたりと、日々なにかしらのモチベーションに突き動かされて生きていたようにも感じます。

 では大人になってからの生活はどうでしょうか?子どもに比べて知識や経験があり、かつ社会的責任や義務を負う立場となり、日々の生活に追われ、新たなことを始めたり、趣味をする時間が減ったりと、子どものころのように自らの内的なモチベーションに突き動かされるというよりは、むしろ外的要因によって日々「生かされている」、言い換えれば主体的に行動し、生活しているという認識を感じにくくなっているようにも思えます。

 子どものころは極端に言えば、「自分が世界の中心である」という感覚で、自分のしたいことをやるという世界で、なおかつある程度それが可能な環境であったかもしれません。一方大人になると、自分の能力や力量を見極め、社会というものを学び「自分の思い通りにはいきにくい世界である」ことを認識していきます。そう考えれば、大人になるにつれて、内から湧き出るモチベーションに従って行動することが少なくなっていく(行動しづらくなる)のは当然のことかもしれません。

【大人になってからのモチベーションの保ち方】


  しかしながら、大人になり、自分の生活が外的要因によりさせられている、もっと言えば強いられているという感覚で生活することは苦しいことです。新しいことにチャレンジすることや、始めたとしても継続させることが難しいことも少なくありません。そんなときのモチベーションをいかにして保つか、あるいは見出すかというのは難しいテーマです。モチベーションを向上させる方法は様々であり、人それぞれ異なるので唯一正しい正解というのはありませんが、私が仕事柄受講生の方にお伝えしていることがあります。
 それはテーマにあるように「立ち止まること」です。より厳密に言えば、対象となる行動の持つ価値を立ち止まって考え、見出すという作業を行うことです。例えば公認心理師や臨床心理士試験の勉強をするうえで、「人名が覚えられない、モチベーションが上がらない」という声があったとします。モチベーションに対する考え方は様々ありますが、要するに対象とする行動が自分にとって価値が高いものにはモチベーションが形成されやすい、価値が低ければモチベーションは上がりづらいと私は考えます。

【例:人名を覚えることにモチベーションが上がらない…】


  先ほどの例で言えば、人名を覚えることにモチベーションが上がらないということは、その人は人名を覚えるという行動は自分にとって価値が低いという認識であると解釈します。試験のためには人名を覚える必要があるが、「試験のため」という認識では価値づけが十分でないということです。モチベーションが不安定な状態で行う学習は、中々身につかず、かつ継続しにくいことが多いです。したがって、惰性で続けるよりかは、一度立ち止まり、「人名を覚える」という行動の持つ価値について考えることを促します。

 もちろん人名を覚えることの価値の一つは、試験のためということがありますが、前述のようにこれだけでは現状不十分です。様々なことが考えられますが、「人名を覚える」ということは人間がコミュニケーションを始める上での大事な一歩です。心理職でケースを持つようになれば、それこそ多くのクライエントや他職種の方々と関わりを持つようになるわけです。したがって,心理職として、人と人の関わりのはじめとなる相手の「名前」を覚えるということは、シンプルでありながら、欠かすことのできない要素であるとも捉えることができます。付け加えて言うのであれば、「人名」というのは例えば、子どもと関わる臨床において、子どもの名前に込められた親の思いや当時の様子などをアセスメントすることにもつながりうる大事なファクターでもあります。

【立ち止まってシンプルに問いかけて,考えてみる】


  以上のように、「人名を覚える」ということを立ち止まって考えてみることで、それまでは認識していなかった価値や意味が見出せると、「人名を覚える」ことの価値が高まり、モチベーションが上がる可能性があります。これは自分1人でできることもありますが、誰かと一緒に考えることも良いかと思います。大人になり、なにかと忙しく、普段自分がしていることの意義や理由が不明瞭になることも出てきます。「何のためにしているのだろう?」「やる価値があるのだろうか?」という思いが出てきたとき、無理に走り続けるのではなく、立ち止まりガソリンを入れるようなイメージで、自分がしていることの意味や価値を考えることで、モチベーションが育まれたり、新たなモチベーションが芽生えるきっかけにつながるかもしれません。立ち止まれるときに立ち止まることも、勇気が必要でかつ大事なことです。立ち止まりたくてもそれができずに、苦しい思いをすることも少なくありません。例えでは私の業務と関連した試験勉強を取り挙げましたが、日々の生活の様々な場面に通じることだと思います。次なる進歩のためには時に立ち止まり、モチベーションを育むことが必要であると考えてみると良いのではと思います。

【少し広げて物思いにふけると…】


  ここまで書いてきてふと思いましたが、大人のころに比べて子どもの頃って立ち止まる(立ち止まれる)機会が多かったように感じています。進路選択の機会が多いせいなのか、立ち止まるきっかけを作ってくれる大人がいたからなのか、時間に余裕があるからなのか、立ち止まっても周りに迷惑をあまりかけずに済む(責任を大人ほど負っていない)からなのか…。大人になると一人前の社会人として扱われることで、他者が立ち止まるきっかけを作ってくれることが少なくなったり、立ち止まることで周囲に迷惑(業務が滞る等)がかかることを気にしたり、立ち止まる余裕もなく目の前のことに追われたり等、子どものころに比べて立ち止まることが苦手になっている気がしてなりません。
  文章が適宜区切りの良いところで句読点を付してあげないと、何を伝えたい文章なのか理解しにくくなるように、人生も適宜立ち止まって句読点を付してあげないと、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかが見えにくくなることがあるのかもしれません。その点子どものころは立ち止まる機会が多かったから、こうなりたいという「夢」を持てていたのでしょうか?大人になっても時折立ち止まり、自身に適度に目を向けて進んでいきましょうね。

 それでは今回はここまでにします。お読みいただき、ありがとうございました。

【今回の一言】
「人生がやがて終わることを恐れるなかれ。人生がついに始まらぬことを真に恐れよ。」
By John Henry Newman.